創建の由来

愛姫(陽徳院殿栄庵菴寿昌尼大姉)

竹松丸君と不動明王

微笑山 江巖寺は、伊達政宗公と愛姫の子であり七歳で夭逝された竹松丸君の供養のために元和元年(1615年)に創建されました。母・愛姫は亡き我が子を想い、日夜信仰していた持仏の不動明王を本尊として寄進され、矜羯(こんが)羅(ら)童子、制叱迦(せいたか)童子の脇侍二童子とともに安置されました。
不動明王は酉年生まれの守り本尊であり、竹松丸君は酉年である慶長十四年の生まれでありました。愛姫が参拝から帰る折、竹松丸君を想い去りがたく感じ、お寺を振り返りながら参道を帰っていかれたと伝わっており、その様子を表して「背割 不動尊」の名が伝えられています。

江巖寺の創建

竹松丸君は1615年(元和元年)3月18日に亡くなられました。政宗公は、竹松丸君の死をいたく悲しみ、
「いとけなき 人は見果てし ゆめかとよ うつつに残る 老いの身のうき」
と詠じられました。
輪王寺十世鱗菴光金大和尚の導師によって慇勤に葬儀を営み、「江巖寺殿惠春大禅定門」と諡(おくりな)し、道罷禅定門、道休禅定門の二名の殉死者とともに一寺を創建して、微笑山江巖寺と号しました。

竹松丸君 御霊屋

現在まで

創建当時の江巖寺は、本堂間口12間半、奥行8間、庫裡は間口6間半、奥行15間、山門、鐘楼は総欅材で仙台城本丸建築時の残材を使用して伽藍が整備され、9石2斗8升の寺領を附し仙台藩の着座格となりました。

しかし、歳月を経るに従い自然朽廃し、明治維新後はその修理方法を欠くに到りました。明治9年第21世魯山和尚の代に旧建物を撤廃して仮堂を建て、明治36年25世嘉全和尚の代には荘厳仏具等を整備しましたが、昭和20年7月の仙台空襲による戦災で堂宇付属物、什物等一切を烏有に帰し、仮堂を以って僅かに日々の勤行を続けてきました。その後、兼務住職となる本多喜全和尚が再建を発願するも事至らずして遷化なされ、更に26世大内素俊和尚の代になって自宅を解体移築して、庫裡となしたころから戦後復興の第一歩が始まり、27世重興大岳耕道大和尚の代に至り、ご縁を頂いた多くの方々の尽力のもと本堂が再建されました。
平成27年(2015年)に開創400年を迎えるにあたり、御霊屋を建立して竹松丸君の御位牌を安置し、元和元年3月26日に殉死された道罷禅定門、道休禅定門の御位牌とともにお祀りしています。

戦後(昭和39年頃)の江巖寺


 

 

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