「背割」不動尊の由来

江巖寺が創建される由縁となった、伊達政宗と愛姫の三男竹松丸君は、1615年に七歳で夭逝されました。母・愛姫は我が子を想い、日夜信仰していた持仏の不動明王を本尊として寄進されました。
不動明王は酉年生まれの守り本尊であり、竹松丸君は酉年である慶長十四年の生まれでありました。愛姫が参拝から帰る折、竹松丸君を想い去りがたく感じ、お寺を振り返りながら参道を帰っていかれたと伝わっており、愛姫が我が子を想い振り返る様子を表して「背割 不動尊」の名が伝えられています。

不動明王

不動明王は、火焔を背にして右手に剣をとり、左手に縄(羂索)を持ち、怒りの姿をしておられます。観音様のような柔和な表情とは異なる、忿怒の相には、人々を守り、無明(迷い)を破るという不動明王の誓願があらわれています。
不動明王は岩の上に坐禅し、火生三昧という禅定によって無明を離れ、智慧を修めて動揺しないことから、「不動」と呼ばれます。

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